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東京高等裁判所 昭和27年(ネ)2161号 判決 1955年6月29日

控訴人(原告) 株式会社朝日新聞社

被控訴人(被告) 中央労働委員会

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は「原判決を取消す。被控訴人が控訴人に対し、中央労働委員会昭和二十五年不初第六号の二不当労働行為事件につき、昭和二十六年七月四日決定した命令主文中、第一項はこれを取消す。申立人小原正雄、同梶谷善久が控訴人を被申立人として被控訴人に対してなした申立はこれを棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人指定代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、左記の如く各当審において補充的に附加陳述した外は、原判決事実摘示と同一であるから、これをこゝに引用する。

控訴人訴訟代理人の当審における補充陳述。

第一、公共の報道機関よりの共産主義者ないしその支持者排除の指令と、これに対し控訴会社の採つた実施措置について。

(一)  昭和二十五年七月十八日附を以て公共報道機関より、共産主義者ないしその支持者を排除せよとのマツクアーサー元帥の書簡が発表せられた直後、控訴会社を含む東京八大新聞の責任者は、総司令部より同書簡を完全実施するよう厳重指令せられた。しかして同書簡実施についての指令は、至上命令として発せられたことが明らかであつたから、控訴会社を含む右各新聞社はいずれも、伝統的特殊性にかゝわりなく一斉にこれを承認する外なかつたのである。

(二)  こゝにおいて控訴会社は短日時乍ら、可及的十分な調査の下に同指令に該当すると確信する者のみを対象とし、この目的達成のため現場幹部の意嚮をも聴取することゝしたが、組合活動または全くの私行等前記指令に直接関係のない要素は、一切考慮の外に置くとの方針を決定し、これに則り極力あらゆる角度から具体的資料の蒐集をなした後、個々についてこの解雇の当否を重役会において検討の末、本件解雇者を決定発表したものである。

(三)  従つて右至上命令の実施に当つては一方同命令に背反しない範囲において、可及的に被解雇者の利益を図るべく、例えば退職金支給の決定、組合に対する連絡と同意の取得等をなした後、就業規則に照らし処置したのであるが、他方これがため万一誤つた資料によつた措置として、総司令部の容認を受けられぬときは、控訴会社にとつて重大なる結果を招来する虞があつたので、重役会の審議は十分にも十分を期し、確信を以て解雇者の氏名を発表したのであつた。

(四)  原審判決にも認定されているとおり、控訴会社の本件解雇の措置は、当該解雇の具体的判断を公共報道機関の経営者の自主的認定に一任した総司令部当局によつて、賞讃を得るに至つたのであつて、この事実に顧みるも、そこには自主的判断の正当性を見出されこそすれ、かゝる至上命令に便乗した不当労働行為的なものは、毫末もなかつたのである。なお当時の客観的情勢は、被解雇者より弁解を聴取する自由は勿論認められなかつたのであるが、控訴会社が具体的資料を有しながらも、個々の解雇事由の公表を今日に至るまで極力差控え来つたのは、一に被解雇者の利益擁護に資せんとする意途に出たものである。

第二、控訴人が梶谷善久及び小原正雄を、共産主義者またはその支持者と認めるに至つた具体的事実の一、二について。

(A)  梶谷関係

(一)  梶谷が大阪商科大学を退学するの已むなきに至つたのは、同人が昭和七年七月に共産党運動に参加したことを理由に検挙せられたがためであるが、後に至り復学が認められたのは、同人のその後の思想的傾向の如何によるものでなく、専ら同大学の教育的見解に基ずくものであつた。

(二)  所謂五、三〇事件に際し、梶谷が大西兼治等のため救援運動に狂奔したのは、一面全朝日労組委員長たる地位において行動したものであらうが、他面そこには同人の個人的思想傾向に原因するものゝあることを、容易に看取せられるのであつて、常に全新聞朝日支部委員長村岸義雄等と連携の下に積極的に活動し、全朝日労組を動員せんとして本部情報を地方支部に通報し、また東京本部役員東京支部役員より成る合同拡大委員会において、労組本部の名の下にこれが決定をなさんとしたるも、その間大阪支部等の反対にあうや、目標を大西兼治一人に変更すると共に、中心を自己の威令の行い易い東京支部に移して、所期の目的達成を図つたのであつた。しかも右五、三〇事件は共産党の組織的非合法活動の第一歩として内外共に注目を集めた著名事件であつて、その重大性は控訴会社従業員一同の熟知しておるところであり、さればこそ当時共産党の影響下にあつた全新聞朝日支部は、必死の救援運動を続行したにかゝわらず、朝日労組は全く行動を共にせず、また梶谷の努力も及ばずして全朝日の労組の大部分は同委員長の方針に同調せず、この結果全新聞朝日支部所属の大西兼治に対する再審による減刑嘆願の署名者は、控訴会社従業員六千余名中僅々百名ないし百二、三十名に止つたのである。以上の事実からすれば原判決の説示する如く、梶谷の行動が「あくまでも友誼団体あるいは同僚社員たる大西及びその家族に対する同情の念に基づく」当然の結果とは理解できぬところである。

(B)  小原関係

(一)  改造社事件に関するインボデン警告について原審判決は、総司令部当局の警告の当否を判断するに足る具体的資料がない旨の前提の下に、結論的に控訴会社が小原の「取材活動あるいは思想的傾向について総司令部とその見解を異にしていたことを推認するに難くない」と認定している。しかしながらインボデン警告は、改造社からの報告もCICからの報告と全く一致しておつて、小原が同会社幹部に威嚇的な言辞を用いた事実等に鑑み、共産分子と見られることを控訴会社に告知しておる(原判示参照)のである。当時インボデン氏に面接した控訴会社代理としては、突然且つ重大な警告であり、これに対し適切なる応当ができず、所謂「お茶をにごす」結果になつたのは理の当然であり、控訴会社もまた万一の場合その波及する影響等を考慮の上、小原に対し適当なる時機に最小限度の処置をするに止めたのは、已むを得ぬところであつて、このことから、右警告の具体的判定事実なしとか、見解を異にしていたと認めるのは失当であり、占領下にあつた当時の状況よりすれば、寧ろ一応適切な資料ありと解すべきである。しかして右インボデン氏の小原に対する指摘は、当時単に公式警告として告知されたに止つたが、その指摘事実は前記マ書簡の完全実施という至上命令の履行に当り、当然控訴会社を拘束するものと解すべきであり、さらばこそ本件解雇者中に小原の氏名が見出されたとき、総司令部を代理するインボデン氏がこれに満足の意を表したのである。これを逆説的に云えば、本件解雇者名簿に小原の氏名が洩れていたとすれば控訴会社はその事実によつて命令違反の責任を総司令部より追及されたものと思料せられるところである。

(二)  更に原審判決は、控訴会社の主張する小原の言動が、その当時として直ちに控訴会社より反対ないし忠告されなかつたこと(例えば東宝事件、NHK事件)を理由として、この点に関する控訴人の主張を排斥しておるが、進藤次郎の証言によつて明らかな如く、新聞社の機構運営に徴すれば、第一線の取材者の報告ないし情勢判断は、特別の理由なき限り監督者として反対するに由なきものであるから、結局その後現われた結果において、その当否が結論づけられるに過ぎぬのである。また新聞記事が訂正されるのは正不正の如く明白に誤りのあつた場合が殆んどであつて、当不当の如く必ずしも明白に誤つたというのでなく、若干一方に片よつた場合の如きは、これを経過記事によつて訂正するのを常とする(例えば改造社事件)のであるから、この点からしても小原の取扱つた記事自体を基として、本件解雇の当否を判定することはできない。

被控訴人指定代理人の当審における補充陳述。

第一、公共の報道機関よりの共産主義者ないしその支持者排除の命令とこれに対し控訴会社のとつた実施措置について、控訴人の主張する事実(前掲控訴人当審主張の第一記載)に対する認否ないし反論。

(一)  控訴人主張の前掲第一の(一)記載事実はこれを認める。

(二)  同(二)記載事実はこれを争う。

(三)  同(三)記載事実中、マ書簡に基ずく指令の実施に当り、退職金支給の決定、組合に対する連絡と同意の取得等の後、就業規則に照らし処置したものであることは認めるが、重役会の十分なる審議のもとに確信を以て解雇者を決定したことはこれを争う。そしてたとえこれら事実が仮りに控訴人主張のとおりであつたとしても、これを以て直ちに控訴人が本件解雇に当つて小原及び棍谷が共産党員またはその支持者なりや否やについての判断を誤らず、且つ不当労働行為成立せずと主張する根拠となし得ないことは明らかである。

(四)  同(四)記載の事実中、控訴人が本件解雇の措置について総司令部当局の賞讃を得たかどうかは不知、至上命令に便乗した不当労働行為のなかつた点は否認する。また控訴会社は具体的な資料を有しながら、今日に至るまで個々の解雇事由の公表を差控えているというが、その事実の存否並びに理由は知らない。

第二、控訴人が梶谷善久及び小原正雄を共産主義者またはその支持者と認定するに至つた具体的事実に関し、当審で新たに附加主張する事実(控訴人の当審主張前掲第二)に対する認否

(A)  梶谷関係

(一)  梶谷の大阪商科大学退学の理由が、同人の共産党活動に参加のため検挙されたものであることは認めるが、復学の理由は不知。

(二)  梶谷の大西兼治に対する救援運動は組合活動の一端として行われたものであり、梶谷が大西兼治一人に対し東京支部において自己の威令を以て救援したとの控訴人主張事実はこれを争う。大西兼治について減刑嘆願の署名がなされた事実は不知であるが、仮りに事実であつたとしても、寧ろそれは署名者のヒユーマニズムに出でたものであつたと認むべきである。

(B)  小原関係

(一)  インボデン氏に面接した控訴会社代理人の応答が所謂「お茶をにごす」ものとなつたとの主張、及びインボデン警告について控訴会社に適切な資料ありとする主張、並びにインボデン警告がマ書簡実施に当り控訴会社を拘束するとの主張は争う。控訴会社が本件解雇者中に小原を含めたことについて、インボデン氏が満足の意を表したとの点は不知。

(二)  取材者の報告ないし情勢判断には特別の理由のなき限り監督者として反対することができず、その後現われた結果についてのみ当否が結論づけられるものであるとすれば、新聞社自体の責任をその構成員たる一個人に転嫁し、新聞社としての責任の所在を疑わしめるものであつて、控訴人のかゝる主張は当らない。また原審判決が小原の取扱つた記事自体のみを基として本件解雇の当否を判断したものでないことも明らかであるから、この点に関する控訴人の主張を争う。

(証拠省略)

理由

当裁判所は、当審における当事者の主張並びに新たになされた証拠調の結果を斟酌するも、結局左記の点を附加する外は、原判決理由に説示するところと同一理由によつて、控訴人の本訴請求を失当として棄却すべきものと判断するから、右原判決の理由をこゝに引用する。

当審における双方当事者の主張並びに新たな証拠調の結果に鑑み、当裁判所は以下数点につきその見解を附加することゝする。

本件において控訴人が特に当審で強調するところによれば、その主要な争点は一、被控訴委員会昭和二十五年不初第六号の二朝日新聞社不当労働行為事件において労働組合法第二十七条に基ずく申立をした控訴会社従業員小原正雄、同梶谷善久の両名が、昭和二十五年七月十八日附連合国最高司令官により吉田内閣総理大臣宛書簡(以下単にマ書簡と略称する)による指令に所謂「共産主義者またはその支持者」該当するや否や。二、若し該当せずとするも、右指令による義務の履行としてなされたという右両名に対する控訴会社の解雇措置が、不当労働行為を構成するや否や。の二点に帰着するものと考えられる。

一、先ず前者即ち控訴人当審主張の前掲事実摘示第二の(A)及び(B)について。

控訴人が、前記小原及び梶谷の両名を前示指令に所謂共産主義者またはその支持者に該当すると認めた根拠として主張する具体的事実の有無及び右認定した具体的事実を基礎として右両名を共産主義者またはその支持者と認定するを相当とするや否やについての判断は、当裁判所の引用する原判決の理由第四の二、(一)ないし(三)(原判決三十七頁三行目から五十頁八行目まで)に詳細説示するとおりであつて、この上更に附言する要もないと思われるが、控訴人は当審でこれら事実の認定について論難するところがあるから、その主張にしたがつて当裁判所の見解を述べる。

(A)  梶谷関係

(1)  梶谷が大阪商科大学を退学するに至つた理由が、同人の共産党活動に参加のため検挙されたことに起因することは、被控訴人の争わないところであるが、後に至つて復学を許可されたのは、控訴人主張の如く専ら同大学の教育的見解に基ずくにせよ、昭和七年頃の共産主義弾圧の時代的背景の下にあつて復学を許可されたこと自体に徴してもその思想的傾向が将来も危険視される程のものでもなかつたことを裏書するものというべく、いずれにしてもこの事件は既に十数年を経過した過去のことに属し、これを以て本件解雇当時同人が共産主義者またはその支持者なりと断定するに適切な資料となるものではない。

(2)  梶谷が所謂五、三〇事件に際し大西兼治等のため救援運動をした経緯については、原判決理由第四の二、(二)の(ヘ)及びその前後段(原判決四十六頁二行目以下四十八頁九行目まで)に説示するとおりであつて、当審提出の原本の存在及びその成立に争のない乙第十二号証の一のロ、ホ、及び同第十二号証の二のハの供述記載は、また以てこの認定を支持するに足り、控訴人提出援用のすべての証拠を以てするも、右認定を覆してこの点に関する控訴人の主張を肯定することはできない。要するに梶谷の右救援活動の事実を以て、直ちに共産党の活動を支持支援する意図に出でたもの、即ち同人を共産主義者またはその支持者と断定するに足らないものというほかはない。

(B)  小原関係

(1)  昭和二十三年十二月の改造社争議に関する総司令部新聞課長インボデン氏の警告に関し、原判決は「……同少佐が報告書を手にして、改造社の争議について控訴人主張の如く小原を非難し同人を共産党員なりと警告し暗にその処置を求めたこと」を認定したが(原判決四十頁(ハ)参照)、同氏の右言明の当否を判断するに足る具体的資料のない限り、右言明を以て直ちに小原を共産党員と認定するに足るほどの心証を惹起するに由ない旨判断していることは、控訴人の指摘するとおりである。しかし控訴人主張の如くいかに占領下にあつた当時の情況の下においても、単に右警告において控訴人主張のような事実を指摘告知されていたというだけでは、直ちに右警告の内容が真実に合致するとする適切な資料ありと解すべき何等の根拠とはならず、しかも本件において右警告の内容が真実であると判定するに足る資料の徴すべきものはないのであるから、右警告の一事を以て小原を共産主義者またはその支持者と認定するに足る証拠となるものでもない。

また控訴人は、前示インボデン警告に指摘された事実は、本件マ書簡の完全実施という至上命令の履行に当り、当然控訴会社を拘束すべきものと解すべきであるという。しかしインボデン警告は昭和二十三年十二月のことに属し、前示マ書簡の発せられたのは昭和二十五年七月である。両者は時期的にみて相当の隔りがあるのみならず、マ書簡及びこれに伴う占領軍当局の指示においては「共産主義者またはその支持者」なりや否やの認定は、経営者の自主的判断に委されていたことは、原判決の認定するとおりであり、この指示において前記小原が特に右に該当する者として指名されたという何等の証拠もない本件においては、前示インボデン警告があつたという一事を以て、控訴会社がマ書簡の指令実施に当り右小原に関する限り、右自由的判断の自由もなく、当然これが拘束を受けるものと解すべき根拠となし難い。そして本件解雇後インボデン氏がその措置に満足の意を表した事実があつたとしても、この解釈を左右し得るものでない。

その他控訴人はインボデン警告に関し「控訴会社が小原の取材活動あるいは思想的傾向について総司令部と見解を異にしていたことを推認するに難くない」との原判決の説示を挙げて論難するところあるも、原判決はどこにもかような説示をしていない。右は恐らく前記小原外一名を相手方とする当庁昭和二十七年(ネ)第二一六二号事件の原判決の説示に対するものと考えられるが、これに対する当裁判所の見解は同事件の判決理由の説示に譲り、本件においてはこれに言及する限りでない。

(2)  また原判決は、東宝事件、NHK事件に関し小原のとつた言動に対し、控訴会社が当時直ちに反対ないし忠告をしなかつたとか、或は小原の取扱つた記事自体のみを基礎として、両事件に関する小原の言動を以て共産主義者またはその支持者と認められないと判断したものでないことは、その判文に照らし明らかであるから、これらの点に関する控訴人の主張は当を得ない。

二、控訴人当審主張の前掲事実摘示第一の(一)ないし(四)について(マ書簡の指令に対し控訴会社のとつた実施措置と、不当労働行為の成否)。

原本の存在並びにその成立に争のない甲第三十八号証の一、二、同号証の四、第三十九号証の一、二(控訴人当審提出)によれば、昭和二十五年七月十八日附のマ書簡による指令があつた後間もなく同月二十四日、控訴会社外他の報道機関の代表者等が総司令部に出頭を命ぜられ、係官より公共の報道機関から共産主義者またはその支持者を排除すべきことは、右書簡の趣旨であることを示唆せられ、右共産主義者またはその支持者なりや否やの具体的判断は、経営者の自主的判断に一任するも、右指示に基ずく解雇の処分は早急に実施すべき旨強く要請せられたこと、かような客観情勢の下にあつて控訴会社においても、急ぎ資料を蒐集し役員会の議を経て、前示梶谷、小原の両名も右指令に該当するものとして解雇処分に及んだことの経緯は、これを窺知し得られるが、原判決も説示する如く、形式的には右指令に基ずく解雇とされていても、その自主的判断を誤り、客観的にみて右指令にいう共産主義者またはその支持者に該当しない者を解雇したことは、前示指令の履行の範囲に属するものと解し得ず、従つて本件において前示梶谷、小原の両名が右該当者に当らないと判定される以上は、この点に関する控訴人の自主的判断の如何にかゝわりなく、これに基ずく解雇の効力については日本国内法規の適用を排除するものでないこと当然である。

そして控訴人が前記両名を解雇するに至つた直接の理由は、形式的には右両名が右指令にいう共産主義者またはその支持者に該当すると謂うにあるも、当裁判所の引用する原判決認定の諸般の事実(原判決理由第四、の三の(一)ないし(五)原判決五十二頁十行目以下五十六頁八行目まで)及び右認定事実と関連して種々説示しているところによれば、控訴会社が右両名を前示指令に該当するもとして解雇した所以のものは、単にその共産主義者またはその支持者なりや否やについての自主的判断を誤つたに因るものとのみは解し得ず、同人等の労働組合における正当な活動を、その主要な根拠としてなされたものと推認するに難くないから、右解雇を目して不当労働行為と認定するのが相当である。当審でなされた新たな証拠調の結果を斟酌するも、この判断を左右し得ない。

以上説示の理由により、控訴人の本訴請求を理由なしとして排斥した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三百八十四条に則り本件控訴を棄却すべく、控訴費用の負担につき同法第八十九条第九十五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤直一 菅野次郎 坂本謁夫)

参照

原審判決の主文、事実および理由

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「(一)、被告が原告に対し中央労働委員会昭和二十五年不初第六号の二不当労働行為事件につき昭和二十六年七月四日決定した命令主文中第一項は取消す。(二)、申立人小原正雄同梶谷善久が原告を被申立人として被告に対してなした申立はこれを棄却する。(三)、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として

第一、申立人小原正雄同梶谷善久ほか十名の申立にかかる中労委昭和二十五年不初第六号の二朝日新聞社不当労働行為事件に関し被告委員会は昭和二十六年七月四日第八十九回公益委員会議において会長公益委員中山伊知郎公益委員細川潤一郎同藤林敬三同吾妻光俊同佐々木良一同中島徹三出席合議の上「(一)、被申立人会社は申立人小原正雄同梶谷善久を原職又は原職と同等の職に復職させ解雇後右復帰までの間に右申立人の受くべかりし給与相当額を支払わなければならない。なお解雇後原職復帰までの期間勤務年限の継続したものとして取扱わねばならない。(二)、その余の申立人の申立は棄却する。」との命令をなし、原告はその命令書を昭和二十六年七月十三日受領したものである。

第二、然しながら右命令は昭和二十六年七月四日の公益委員会議において審査委員として昭和二十五年十二月十四日より同二十六年四月七日までの間十四回に及ぶ審問において審査した桂公益委員の参加なく決定されたもので少くとも中央労働委員会規則第四十二条に背反し審査決定手続に重大なる過誤があり当然無効のものである。

第三、次に、右命令はその理由として「被申立人会社が昭和二十五年七月二十八日及び八月一日に申立人等に対しとつた措置が同年七月十八日付マツカーサー元帥の吉田首相宛て書簡の主旨並にその後におけるその主旨の実現を促進する諸事情に鑑み報道機関たる会社の機構から特に共産党員及びその支持者を排除する必要に当面して行われたものであることは、当委員会もこれを認めるに難くない。しかしこのことを以て直に会社がなした共産党員又はその支持者であるとの認定が悉く正当化され申立人等の解雇が労組法第七条の成立を阻却するとはいえない。よつて当委員会は慎重な調査と十三回にわたる審問の結果明らかとなつた事実に基いて次のように判断する」として、申立人小原につき「会社は右申立人についてかつてある方面から共産党員であるとの説が立てられたので右申立人を日本共産党員の支持者と認定したと主張するがかかる説は結局風評に終つて本件解雇当時は別に問題となつていなかつたのであるからこれを理由に支持者と認定したという会社の主張は到底容認し難い。又会社は右申立人がかつて同僚に対して日本共産党員『伊藤律に合い対決せよ何なら自分が紹介する』と言つた事実を目して右申立人が支持者であると主張するがそれは右申立人が労農記者であつたとき共産党の記者会見から帰社して同僚から質問された際取材内容に関する論議としてのべたものであつて新聞記者として当然あり得る事である。この点に関する会社の主張は余りにも根拠薄弱である。飜つて同人の組合活動を見ると右申立人は昭和二十四年三月いわゆる第三系統の組合たる東京編集労働組合の書記長編集労働組合統一協議会の仮書記長に選任されて以来病身の委員長に代つて分裂した朝日新聞従業員の組織統一に奔走し同年十月ついに全朝日新聞労組の結成に至らしめた。この第三系労組は極左系労組とは拮抗する立場にあつたが会社がこれを第二系労組たる朝日労組より好なかつたこと殊にその統一運動を忌避したであろうことは審問の結果認定しうるところである。右申立人について会社の主張が失当であることを同人が第三系統組合の樹立及び組織統一運動の立役者であつたことに照せば本件解雇は会社の単なる支持者認定の錯誤に出たものではなく右の正当なる組合活動に根すものと認めざるを得ない」とし、申立人梶谷につき「右申立人が大阪商科大学在学中昭和六年学生争議に関係して二年間の停学に処せられたことは争なき事実である。しかし言論抑圧ようやく激しくなつたその時代的背景の上にこの学生争議を考え又同時に停学となつた数人の学生中遂にそのまま処分を解かれなかつたものがあつたにかかわらず同人は二年後に復校を許されている事情からすれば単に彼が争議の指導者であつたという事実だけから――たとえその争議が共産党的背景をもつていたにせよ(但しこの事実は明かでない)――右申立人を赤色分子とみるのは当らない。又右申立人が日本ジヤーナリスト連盟に属していたことは争ないが同人には連盟の実態をよく認識しながら会員となり会員たる地位に止りまた指導者となり且つその線に沿つて連盟の活動を推進してきた事情は毫も認められない。さらに右申立人が全日本新聞放送労働組合の中央委員であり又機関紙部長であつたことは事実であるが、中央委員は多数いるからその悉くを党員又はその支持者と認めるのは穏当でないだけでなく彼が編集技術に巧みであつたことの結果機関紙部長であつたことも考えられるのであるが何れにせよかかる事実は彼を党員又はその支持者と認めしめる証拠としては不充分である。又申立人が同じ社員中の共産党員と志賀高原の社の寮に赴いた事実は当事者間に争ない。しかしその際には他の数人の非党員も同行しておりかつこの旅行が党活動の一端であるかどうかについては充分な証拠はない。ただ右申立人が五、三〇事件において大西氏と所属組合が異るにかかわらずその救援運動の音頭をとつたことはたとえ大西の刑が確立する以前であつたにせよいささかその思想的色彩について疑をさしはさむ余地があつたことを認める。被申立人が申立人につき主張しかつ立証する諸行為のそれぞれについて以上の如く判断せられるのであるが今仮りにこれらの諸行為を一連のものとして考えてみても――その間に多少批議すべきものがあるとしても――なほかつそれは同人を以て共産党員又はその支持者と判断するには甚だ不十分たるを免れないのである。しかもその一面右申立人は解雇当時前記第三系統組合の全朝日労組本部の執行委員長であつた関係に照せば申立人小原について述べたと同様のことが言い得る。しかも解雇当時賃金協約について団体交渉の最中にあつたのであり会社は申立人梶谷を解雇し立入禁止することによつて嫌忌する全朝日労組の交渉力をいちじるしく弱化せしめることができたのである。申立人梶谷についても会社の主張するが如き解雇の事由が存しないこと及び同人の右組合活動の事情と併せ考えると本件解雇は会社の単なる支持者認定の錯誤によるものではなく右の正当なる組合活動に根すものと認めざるを得ない。このことは同人が編集局長賞を四回にわたつて受けているという異例の経歴によつても裏付けられるところである」としている。

然しながら、右認定は記録を精査せず証拠の判断を誤り又は証拠によらず事実を認定し右両名の組合における経歴を採つて不当労働行為とした不当のものである。

右両名に対する解雇は、昭和二十五年七月十八日附連合国最高司令官マツカーサー元帥より吉田内閣総理大臣宛の書簡に基き公共報道機関の経営者として原告がその機構から共産主義者及びその支持者を排斥すべき至上命令によつて実施したものであり、これは公共の報道機関が一斉に実施したもので、かかる当時の客観的情勢に基きなされた前記解雇には右両名の組合活動に対する考慮は全くなかつたのであり右命令に便乗するとかこれを利用するとかの意図の下に処置したのでは毫末もないのである。而して、

一、小原正雄について、

同人は昭和十一年入社し主に原告会社の東京本社編集局に勤務し終戦後社会部に属し労農関係を担当していた。従来よりその思想傾向は左翼的でありその取材活動は左派から出たものに偏する傾向があり編集局長及び同次長より社会部長に対し小原の取材したものにつき特別の注意を払うよう指示していたものであるが、

(イ) 昭和二十二年十二月より同二十三年十月の東宝争議の扱いにつき、昭和二十三年四月東宝社長渡辺鉄蔵氏等より原告会社の社会部長に対し記者の取材態度の不公正を抗議し「朝日の記者で共産党の廻し者のようなのが一人居る」と話しがあり、その記者が小原なることが確認されたのである。また同年十月二十日東宝重役馬渕威雄氏より原告会社の総務局長ほか二名に対し右争議関係の取材につき小原より迷惑を受けた旨の明言があつたのである。

(ロ) 昭和二十三年十月二十九日附原告会社の朝日新聞社会面にNHK演出係の婦人組合員罷免問題に関し小原が取材執筆したが直後放送協会長古垣鉄郎氏より原告会社に対し「時期外れの記事を事改めて問題化するため取上げたもので何らかの意図があるものとしか考えられぬ」との抗議があつた。

(ハ) 昭和二十三年十二月三十日総司令部新聞課長インボデン少佐より編集局長社会部長及び小原に対し出頭命令があり、編集局次長門田、社会部長進藤及び通訳として鈴木乾三が出頭したのに対し同少佐は当時争議中の雑誌改造の紛争につき小原が改造社の共産党員分子の主張を支持し改造社の幹部に威嚇的言辞を弄した事実を指摘し、部厚な報告書を手にしながら「小原は共産党であるその取材報道が一方的で会社側の主張を容れず、共産党分子に指導されておる労働組合側の主張を是としているから労農関係の取材に関与さしてはならない。CICの報告も会社側の報告も一致している」と警告した。またこの頃右少佐より前記鈴木乾三に対し国鉄民同に関する記事が甚だ左翼的であるとの注意があり、その記事は小原の取材したものであることが確認された。

(ニ) 昭和二十四年三月労農関係の担当より文化団体関係の担当に移つたがその後も同人はとかく労農方面に興味をもち特殊な文化活動といつた材料にのみ熱中する傾向があつた。

(ホ) 昭和二十四年七月十七日午前三時頃国鉄組合加藤委員長をジユネーヴよりの帰途原告会社の編集局長室に迎えた際国鉄民同派の人々と右委員長の密談に小原がこれを聞く態度を示し同派の人々より「困るよ小原さんに随分ヒドイ目に会わされているんだ」と強く忌避された。

(ヘ) 昭和二十三年中社会部長進藤より二回にわたり小原に対しその左翼的偏向を注意したが同人は自分はマルクス主義がいいと確信していると断言し色々の点で追究を受けるや見解の相違だと表明した。

(ト) 昭和二十四年八月頃社会部員川手泰二よりその左翼的である点につき反省を求められたに対し小原は「君がそれほどいうなら一度共産党の伊藤律に紹介しようそして若し君が伊藤律と論争して打ち勝つたら僕も君の忠告に従う」と言つたことがある。

(チ) 昭和二十四年秋頃小原につき通信部ならびに連絡部への転部の交渉が部長間でなされたがいづれも思想傾向、取材態度の故を以て拒絶された。

二、梶谷善久について、

同人は昭和十二年一月入社し原告会社大阪本社社会部に勤務していたが昭和二十二年七月東京本社に転じ主として編集局欧米部に勤務していたところ、

(イ) 同人は大阪商科大学に在学中昭和七年一月学外の共産党と結び起された盟休事件に関与し指導的役割をなし同年六月共産党運動関係者として検挙され起訴猶予となり家庭の都合を名目として退学し二年後に再入学した。

(ロ) 昭和二十三年八月その筋より原告会社大阪本社に対し同人を共産党分子の一人として指摘された。

(ハ) 朝日新聞本紙並に週刊紙アサヒニユースに書く同人の原稿殊に東南アジア関係のものが昭和二十四年頃より漸次尖鋭的となり職制より屡々注意あるに拘らず顕著になり行間に左翼民族戦線の色彩を織込む傾向が強くなり編集者において朱筆を入れ修正緩和したに対し同人は不服を表明し原文回復を主張した。

(ニ) 同人は共産党文化活動の主翼である日本民主主義文化連盟の有力加盟団体たる日本ジヤーナリスト聯盟の一員である。

(ホ) 同人は昭和二十二年一月より七月まで日本新聞通信放送労働組合(通称新聞単一)の大阪支部機関紙部長同二十三年六月より十一月まで全日本新聞労働組合(全新聞)機関紙部長であつて、新聞単一は産別傘下にあつて指導的地位にあり全新聞は全労連傘下にあつて指導的地位を占め右新聞単一及び全新聞は共産党の影響力が濃厚であつた。

(ヘ) 昭和二十五年のいわゆる五、三〇事件に際し、全新聞朝日支部の組合員で日本共産党員である大西兼治が連座するや梶谷は所属組合の異るに拘らず、その救援のため右組合の委員長村岸と共に救援署名運動、資金カンパを共同で開始し、しかも梶谷は本部執行委員会にもはかることなくこれを実行した。

(ト) 同人は原告会社内の共産党員と親交あり、殊に社内の有力党員である本江信逸の死亡に際し「テント打つ風強ければおのづからインター斉唱高まり来る、くれないの組合旗風にはためけど君の姿は見るによしなし」等の歌をよんでいる。また昭和二十四年二月中旬志賀高原にある原告会社の寮にいづれも党員である谷部晋一、浅野澄江等と共に赴き数日間滞在し、また前記大西兼治が重労働十年の刑に処せられるや全新聞機関紙に右大西のため一文を草し「みじんも悪気のない好青年」と書き救援を説いた。

等の事実があつて原告会社はこれらに基いて小原及び梶谷を共産主義者またはその支持者と認定したものにして、右両名が現在「アカハタ」の後継紙と認められる「国民と共に」関与していることは原告会社の右認定の正当性を示すものである。なお、

被告は前記のようにその認定において、小原が第三系労組たる全朝日労組を結成したとか、梶谷が解雇当時右労組の委員長にして原告会社がこれを忌避したものとしているが昭和二十四年一月二十八日に右労組の組織母体たる朝日新聞労働組合統一協議会が結成され爾来原告会社は同協議会を交渉の相手としていたもので右協議会が前記組合に組織されてもそれは名称変更の程度で小原の努力を必要とする客観情勢になかつたものであり、また梶谷が前記委員長をしたのは昭和二十五年五月以降僅々三箇月のことでその間原告会社が困惑を受けるような事態はなかつたのであり解雇当時の団体交渉は全従業員組合との共同交渉で毫も尖鋭化していなかつたのであつて、右両名の組合における経歴活動はとるに足らぬもので同人等より遥かに強力なる組合活動を展開した者や重要な地位にあつたものは他に多数存したがいづれも前記のようには解雇されなかつたのであつて、原告会社が右両名を組合活動の故に忌避する理由は存せず前記解雇に当り組合活動の点は考慮せず全く不当労働行為の意思はなかつたのである。以上の次第で、被告の前記認定は証拠の判断を誤り又は証拠によらず事実を認定した違法があり前記命令は取消さるべきものである。

と述べた。(立証省略)

被告指定代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告の主張に対し、

一、被告が昭和二十六年七月四日原告に対しその主張の如き命令をし、その命令書を同月十三日原告に交付し、被告が右命令書において、右命令の理由として原告主張の如く認定並に判断をしたこと右命令は同年七月四日原告主張の如き公益委員会議において決定され、右会議には審査委員であつた桂公益委員が出席しなかつたことはいづれも認めるが、同委員は右会議以前に退任し右会議は新に任命された公益委員によつて適法に構成され、その判定は記録を精査し慎重審議の上行われたもので、桂前公益委員が右会議に参加しなかつたことは当然で原告主張の規則第四十二条に何等牴触するものでない。

二、原告が昭和二十五年七月十八日附連合国最高司令官より吉田内閣総理大臣宛の書簡に基き原告の機構から共産主義者及び同調者を排斥した事実は認めるが小原正雄及び梶谷善久が共産主義者乃至同調者であることは遂に肯認することの出来なかつたものである。なお、原告が右両名につき主張する事実中

(一) NHK演出係に関する記事、国鉄民同に関する記事、編集局次長の警告、他部への転出が断られたことは、被告委員会の審査においては、原告が何等主張しなかつたもので、今これらの事実をあげて前記命令の当否を争うことは失当である。

(二) 被告委員会の審査において東宝争議に関する事実については原告は最終陳述に至つてはじめて述べしかも極めて簡単に言及したものであり、インボデン少佐の警告については単に意見の伝聞を主張したに止り、進藤社会部長との懇談については漠然と主張し原告主張の如き内容は主張されなかつたもので、いづれも原告において十分立証しなかつたものであり、その他原告主張事実については審査の結果に基き前記命令書の如く判断したものでこれに何等の違法もない。

(三) 梶谷が昭和六年の学生争議に関係したこと、同人が日本ジヤーナリスト連盟に加入していること及び同人が組合役員として五、三〇事件における大西兼治の救援を行つたことは認めるがいづれも審査の結果に基き前記命令書の如く判断したものであり、同人が本江信逸のため弔歌を詠んだこと及びこれを朝日短歌に掲載したことは認めるが政治的理由による親交を認め難いので特に命令書において判断する必要を認めなかつたものである。その他の事実については、原告は十分な立証をしなかつたもので被告は審査の結果に基き前記命令書の如く判断したものである。

(四) 小原及び梶谷の組合活動及び前記解雇当時における団体交渉の状況についてはすべて原告の主張を争う。

と述べた。(立証省略)

理由

第一、申立人小原正雄同梶谷善久が原告会社より昭和二十五年七月二十八日及び同年八月一日それぞれ解雇され、これを不当労働行為なりとして被告委員会に救済の申立をなし、同委員会が昭和二十五年不初第六号の二不当労働行為事件として審査し、昭和二十六年七月四日原告主張の如き命令をなし、その命令書を同月十三日原告に交付したことは当事者間に争のないところである。

第二、原告は右命令はその審査決定の手続に重大なる過誤ありて無効であると主張するにつき案ずるに、右命令が昭和二十六年七月四日の公益委員会議において、原告主張の如く会長公益委員中山伊知郎外五名の公益委員出席合議の上決定され桂公益委員が右会議に参加しなかつた事実は当事者間に争なく、成立に争なき乙第二号証の一乃至十三(審問調書)によれば、被告委員会が前記不当労働行為事件につき審問を行い、桂公益委員のみが昭和二十五年十二月十四日より同二十六年四月七日迄の間十三回にわたりなされた審問に関与したことは明であり、同委員が前記公益委員会議以前に任期満了により退任したことは原告の明に争わないところである。而して、昭和二十六年五月十二日改正された中央労働委員会規則第四十二条第一項には「審問を終結したときは会長は公益委員会議を開き合議を行う」と規定され、すべてを公益委員会議の合議による判定に委ねていることが明であるので、公益委員会議が適法に構成され合議がなされている限り右規定に違反するものとはいえなく、すでに公益委員を退任した桂公益委員が右合議に参加しなかつたとて、右合議が不適法になされたとは言うに由ないものといわねばならない。尤も同条第二項には「公益委員会議は合議に先だつて審問に参与した使用者委員及び労働者委員の出席を求めその意見を聞かねばならない」とあるがこれは退任した、公益委員に適用されるものとは解し得られないので、この規定に違反するものとも為し得ない。

第三、原告は、前記命令における被告委員会の認定を不当であると主張し、被告は、被告委員会の審査において主張せざる事実及び提出せざる証拠は、被告委員会の命令の取消を求める訴訟において新に主張し又は提出し得ざる旨主張するので、先づ被告のこの点の主張につき案ずる。

労働組合法第二十七条によれば、労働委員会は、使用者が同法第七条の規定に違反した旨の申立を受けたときには、調査を行い、必要ありと認めたときは審問を行うこと及び審問の手続を終つたときは事実の認定をしこの認定に基いて申立人の請求にかゝる救済の全部若しくは一部を認容し又は申立を棄却する命令を発しなければならないと定めているが、右命令の取消を求める訴訟が提起された場合に労働委員会のなした事実の認定が裁判所を拘束するか否かについては、同法は、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律第八十条の如き規定を設けず、何等の定めもしていない。尤も前記第二十七条においては、審問の手続においては当該使用者及び申立人に対し証拠を提出し証人に反対尋問をする十分な機会が与えられなければならないと規定し申立人及び当該使用者より証拠を提出させこれに基いて委員会が事実の認定をなすことを目的としていることは窺い得るが、これは事実の認定を慎重ならしめる趣旨のものと解せられ、我国の実定法上は所詮、労働委員会のような所謂行政委員会も通常の行政庁とその本質を異にするものとは解せられない。而して行政庁の処分の取消変更を求める行政訴訟においては、特段規定のなき限り、裁判所が行政庁のなした事実認定に拘束されないこと及び処分の事由となるべき事実の認定につき行政庁における主張並に証拠に拘束されないことは、我国の憲法をはじめとする実定法を基礎として司法審査の限界を考えるかぎり当然のことゝいわねばならない。然ればこの点に関する被告の主張は被告のような所謂行政委員会の本質に照らし傾聴すべき論ではあるが、採用するに由ない。

第四、よつて前記命令の当否につき案ずる。

一、昭和二十五年七月十八日附にて連合国最高司令官マツカーサー元帥より吉田内閣総理大臣宛の書簡の発せられたこと及びその内容については、当裁判所に顕著な事実であり、成立に争なき甲第三十二号証の二証人矢島八洲夫の証言によれば、右書簡の趣旨に基き総司令部関係当局が公共の報道機関に対し右書簡の趣旨を急速に実施すべきことを示唆したこと、原告が他の報道機関と同様に右書簡並に示唆に従い、その機構より共産党員並にその支持者を排除せんとして昭和二十五年七月二十五日及び二十六日の両日にわたりその調査認定をなした上、同月二十八日梶谷善久等に対し共産党員又はその支持者なりとし同年八月一日小原正雄等に対し右支持者なりとしいづれも就業規則第四十五条第六号の「止むを得ない社務の都合による」として、それぞれ解雇の意思表示をしたことを認めざるを得ない。而して右書簡の発せられる以前昭和二十五年六月六日、同月七日、同月二十六日前記最高司令官より吉田内閣総理大臣宛に各書簡が発せられたこと及び同年五月三日前記最高司令官より声明のなされたこと並にこれらの内容については、いづれも当裁判所に顕著なところにして、これらの書簡並に声明に照し前記七月十八日附の書簡を考察すれば、同書簡は最高司令官が公共の報道機関に対しその機構より共産主義者又はその支持者を排除すべきことを要請した指令と解すべく、従つてこれに基き公共の報道機関がその従業員を解雇した場合においては、右解雇は右指令の実施に止りその限りにおいては国内諸法規の適用を排除すべきものとなさざるを得ない。前記認定の事実によれば、原告が小原及び梶谷に対し為した前記解雇の意思表示が一応形式的には前記指令の実施として為されたものであることは否定し得ないところにして、これによれば右解雇の効力については国内諸法規の適用は排除されるが如しと雖、飜つて前記指令の趣旨をみるに、具体的に報道機関における特定の個人を指定してその排除を要請したに止まらず一般に共産主義者及びその支持者を排除すべきこと命じたものにして、公共の報道機関において右指令を実施するに当りては、自ら右指令の趣旨における共産主義者及びその支持者に該当するか否かを決しなければならないものというべく、従つて右書簡によつてかゝる趣旨の法規が設定されたものと解するほかないから、共産主義者又はその支持者に該当する従業員に対する解雇については国内諸法規を排除する効力を主張し得べきも、前記該当の有無を誤り右書簡にいう共産主義者及びその支持者にあらざるものを解雇した場合においては、右指令の実施による国内法規範排除の効力を主張し得ざるものと言わざるを得ない。然れば、原告のなした前記解雇の意思表示にて国内諸法規の適用が排除されるか否かは小原正雄及び梶谷善久が右書簡にいう共産主義者又はその支持者に該当するか否かにかゝるものと言わざるを得ない。

二、よつて先づこの点につき、小原正雄、梶谷善久につき順次案ずるに、

(一)、小原正雄について

成立に争なき甲第三十一号証、第三十三号証の二、第三十四号証の三によれば、

(イ)、昭和二十三年頃の東宝争議については、原告会社においては、小沢、村上、小原の三記者を派したるところ、昭和二十三年頃東宝の馬渕重役より東京本社の進藤社会部長に対し「朝日の記者に変なものがいて困る」との苦情があり更に同年十月頃右馬渕重役より東京本社の矢島総務局長に対し「今度ストで小原という者から非常な迷惑を受けた」との苦情のあつたこと。

(ロ)、小原の取材執筆した朝日新聞昭和二十三年十月二十九日の日本放送協会の記事につき、古垣会長より原告に対し、作為的な取上方であるとの抗議があり、右記事においては、同年七月三十日演出課員の邦楽レコードをかけることを忘れ放送に五分間の穴をあけたこと及びそのため放送協会においては右課員を懲戒免職したこと並にこれに関する組合及び協会側の言い分等が記載されていること。

(ニ)、小原が昭和二十四年二月まで労農関係を担当しその頃文化団体関係の担当に転じたこと。

(ホ)、昭和二十四年七月頃国鉄組合の加藤委員長がI・L・Oの会合よりの帰途東京本社の編集局長室に立寄つた偶々小原が居合せ、同組合の人々と接したこと。

(ヘ)、昭和二十四年四月頃進藤社会部長との懇談において、同部長よりマルキシズムに批判をもつがよいと言われたのに対し、小原が「自分はあなたとは違う」と述べたこと。

(チ)、昭和二十三年頃及び同二十四年頃小原を連絡部次長、通信部デスクに転ぜんとしたが両部より拒絶せられたこと。

は何れもこれを認め得るが、右事実に関連して原告の主張する他の事実はいづれも措信するに足る証拠なく、また前記証拠中右認定に牴触する部分は他の証拠に比照するときは、たやすく措信し難い。而して、右(ヘ)の事実はこれを以て小原の思想傾向を示すに似たりと雖これをもつて同人を共産主義者又はその支持者と認定するには薄弱なること言うまでもなく、他の事実はいづれもこれを以て右認定に供し得るものとは言えない。更に成立に争のない甲第三十四号証の二、第三十五号証の三によれば、

(ハ)、昭和二十三年十二月三十日原告主張の如く総司令部新聞課長インボデン少佐より小原等が出頭を求められて、原告主張の如く門田編集局次長等が出頭したところ、同少佐が報告書を手にして、改造社の争議に関し原告主張の如く小原を非難し同人を共産党員なりと警告し暗にその処置を求めたこと及び昭和二十三年頃同少佐が鈴木乾三に対し国鉄民同の記事を不公正とし小原外一名の取材記者を指名して注意したこと。

を認め得るとはいえ、右少佐の言明の当否を判断するに足る具体的資料のない限り、右言明を以て直に小原を共産党員と認定するに足るほどの心証を惹起するに由ない。また、成立に争のない甲第三十三号証の二第三十四号証の三によれば、

(ト)、昭和二十四年八月頃小原が社会部記者川手泰三に対し「君が伊藤律を説得したら君のいうことを聞く」と言い同人を紹介する旨述べたこと。

を認めるほかないが(尤も成立に争のない乙第二号証の六、第三号証の六によれば右は昭和二十三年夏頃との記載あり)、前認定の如く小原は昭和二十四年二月まで労農関係を担当していたので、伊藤律を知り得ることは職務上あり得ることゝ認められ、他の事情が明とならない限りこの事実のみを以て、小原と伊藤律の間に特別緊密なる関係あるものとは、にわかに断じ得ず、同人の思想傾向を示すものとは言えても、これを以て直に小原を共産党員又はその支持者と認定するには足らざるものというほかない。以上いづれもその個々をとらえて共産主義者又はその支持者と認定し得ないことはもとより以上の事実を綜合するもかゝる認定をなすに由ない。もつとも同人の言動の一部には、結果的に共産主義者又はその支持者の言動に沿うが如きものあるを認め得ないわけではないが、これは必ずしも共産主義者又はその支持者の言動としてのみ考えられない場合のあることを思えば、他に右以外の事実を認め得ない限り、以上の事実を綜合しても共産主義者又はその支持者と認めることができない。

(二)、梶谷善久について、

真正に成立したものと認め得べき甲第二十一号証、第二十二号証の一、二、第二十三号証の一乃至五、成立に争なき第三十三号証の二、同号証に照し成立を認め得べき第二十四号証の一、二成立に争なき第三十五号証の二によれば、

(イ)、梶谷が大阪商科大学に在学中昭和七年二月頃同大学に盟休事件が発生し同人がこれに関与したこと及びその後同年六月頃行われた左翼運動の第二次検挙において同人が大阪地方検事局に検挙されたが起訴猶予となつたこと

(ロ)、昭和二十三年八月頃大阪本社人事部長より東京本社総務局長に対し、大阪天満署公安係官がC・I・Cの提示にかゝる共産党員又はシンパの氏名中に梶谷が含まれているとて大阪本社に調査に来た旨の通報のあつたこと

(ハ)、週刊紙アサヒニユース等に執筆した梶谷の原稿が昭和二十四年暮より反米的左翼的であり殊に東南アジアの民族運動につきその傾向ありとして職制において注目し、これを同人に注意したこと

(ニ)、梶谷が日本ジヤーナリスト連盟の一員にして、右連盟は日本民主主義文化連盟に加盟し、又国際ジヤーナリスト連盟と連携を保ち更に日本民主主義文化連盟に対しては日本共産党が文化活動の一環として働きかけていたこと

(ホ)、梶谷が昭和二十二年一月より同年七月まで日本新聞放送労働組合(新聞単一)大阪支部機関紙部長であり、同二十三年六月より十一月まで全日本新聞労働組合(全新聞)の機関紙部長であり、新聞単一が産別傘下の組合であり、全新聞が全労連傘下の組合であること

はいづれもこれを認め得べく、而して右(イ)の事実は既に十数年を経た過去のことにしてこれを以て前記解雇当時の事情を判断するには適せざるものというほかなく、右(ロ)の事実は更に具体的な資料なき限り心証を惹起するに遠く、右(ハ)の事実はこれを以て共産主義者又はその支持者たることを認定するに由ない。成立に争なき乙第二号証の十二、第三号証の十二の(イ)によれば日本ジヤーナリストの連盟員が直に共産党員又はその支持者とは認められず、また梶谷がその一員として活溌な活動をなした事実を認め得ないので、右(ニ)の事実を以てするも未だ共産主義者又はその支持者と認めるに由なく、また(ホ)の事実は組合役員としての活動を示すに止り産別、全労連傘下の組合の役員であるとの一事を以て共産主義者又はその支持者と認定するには、証明足らざるものとなすほかない。なお、成立に争なき甲第三十三号証の二、真正に成立したものと認められる甲第十六号証、第十九号証の一、二によれば、

(ヘ)、昭和二十五年五月三十日いわゆる五、三〇事件に原告会社の従業員にして全新聞朝日支部所属の日本共産党員大西兼治が連座するや、同月三十一日附にて、全新聞朝日支部と全朝日労組の連名にて「五、三〇人民ケツキ大会、大西君ら検束さる」なる見出しの掲示がかゝげられたが間もなく全朝日労組の名が抹消されたこと、当時梶谷が全朝日労組の執行委員長なるところ同人及び三枝、五十嵐本支部書記長が全新聞朝日支部執行委員長村岸と共に朝日労組に対し右大西の釈放署名運動、救援資金カンパ等につき共同すべきことを申入れ朝日労組においては右支部の言分をプリントにして村岸委員長の確認を得その後この申入を拒絶したこと、翌六月一日全朝日救援委員会が設置されたが全朝日労組大阪支部は執行委員会にはかられなかつたとしてこれに同調しなかつたこと

を認め得べく、前記甲第十六号証及び真正に成立したものと認められる甲第十七号証、第十八号証の一、二、四によれば、五、三〇事件の検束者の救援等の活動は共産党の活動を直接支援するものと言えなくともこれに沿う活動とみられる余地はあるが同党またはその支持者以外の者においても同様の活動をするものゝあることは否定出来ないことであつてかような活動が同党又はその活動を支持支援するものであるか否かはその行為当時の状況により、またこれとその者の一連の日常行動等に照し判断すべきであつて、かゝる活動のみをとらえて直に共産党或はその活動を支持支援するものとは一概に言えない。而して、大西兼治が原告会社の従業員であること、全朝日労組の救援活動が大西兼治に限定され、他の検束者に及ばないこと、右救援活動を組合活動として取上げんとしたこと等が前記証拠に照し窺知されるので、前認定の事実を以て共産党の活動を支持支援する意図のもとに行われたものと直に断定するに足らざるものというほかない。従つて右事実を以て直に梶谷を共産党員乃至その支持者と認定するに由ない。成立に争なき甲第三十三号証の二、第三十四号証の二、成立を認め得べき甲第二十五号証の一乃至三及び成立に争なき甲第二十号証によれば、

(ト)、梶谷が原告会社の従業員にして日本共産党員なる本江信逸の死に際し原告主張の短歌を詠じ、また原告主張の如く志賀高原の寮に原告主張の谷部、浅野等と滞在したこと及び大西兼治のため原告主張の如き文章を草したること

を認め得るが、梶谷が谷部、浅野、本江、大西等と同僚社員又は組合関係者としての通常の交際以上に緊密な連携があつたことについては認めるに足る証拠がないので、右事実のみを以ては梶谷を共産主義者又はその支持者と認定するに由ない。以上いづれの事実を以てするも個々の事実は右認定に資するに足りないこと前記の通りであるのみならずこれらの事実を綜合するも前記の通りの前記書簡の趣旨における共産主義者又はその支持者たることを認定するに足らないものというほかない。

(三)、なお、成立に争のない甲第三十四号証の二、第二十六乃至第二十八号証、第二十九号証の一乃至三によれば、前記昭和二十五年七月二十八日及び八月一日に解雇されたものにて言論弾圧反対同盟を組織し、「国民と共に」を発行して居りこれに共産党の宣伝その他が掲載されたこと梶谷及び小原が右同盟の一員として右「国民と共に」に関係していたことは、いづれも認められるが、右は本件解雇後のことに属し、一応解雇によつて誘発された活動とみるべきで、特別の事情の立証なき限り、これを以て解雇当時の認定の資に供し得ないものと言わざるを得ない。

三、然らば、小原及び梶谷を共産主義者又はその支持者と認めるに足る証拠なきを以て、被告委員会のこの点に関する認定はこれを不当とするに由なきものにして、右両名に対する原告の前記解雇は、連合国最高司令官の前記指令の履行の範囲に属せず、従つてその効力は国内諸法規に照し判断すべきものというべきである。よつて、進んで不当労働行為の認定につき案ずるに、

原告は小原及び梶谷に対する前記解雇は連合国最高司令官の前記書簡に基きその指令を実施したるに止り同人等の組合活動につき何等考慮するところがなかつた旨主張し、右解雇が形式的に右指令の実施の一環としてなされたことは前認定の通りであるが、被告において右指令の実施として解雇がなされたとて、直に解雇の他の動機を排除するものとはいゝ難く、唯共産主義者又はその支持者の認定において正当である場合においては国内諸法規の適用を排除し他の動機につき国内諸法規の適用の余地なきに止ること前記の通りである。従つて右解雇において共産主義者又はその支持者と認めるに由なき以上、右解雇は誤解に基くものか或は別に他の動機に基くものとなすほかなく、而して、これらのことは内心の意思に属し直接これを証明する証拠のほか、解雇のなされた当時の事情に照し、これらを綜合して推認するほかなきものというべきである。原告は、前記両名の組合活動は、前記解雇に際し全く考慮しなかつたのであると主張し前記甲第三十二号証の二、証人矢島八洲夫の証言中には、これに副う記載並に供述があるが、成立に争のない乙第一号証、第二号証の一、三、四、八、九、十二、第三号証の一、三、四、八、九、十二(ロ)及び成立に争のない甲第三十号証、第三十二号証の二、第三十三号証の二、第三十四号証の二、三によれば

(一)、小原正雄は昭和十一年入社し昭和二十一年復員後は東京本社編集局社会部において労農関係担当の記者となり昭和二十四年二月文化団体担当に転じたが、昭和二十三年十一月原告会社の従業員の組合が分裂する以前においては分会委員をしたほか組合役員に就かず大会における発言も活溌ではなかつたが、社会部においては古参であり自然に職場委員的の立場にあり社会部における職制に対し発言することも多く、部内従業員間に重きをなしていたこと。

(二)、右組合分裂により全新聞朝日支部より脱退して朝日労組が結成され両者対立の状態にあつたところ、従業員多数にして編集局の中心をなしていた政経部及び社会部の従業員は右いづれの組合にもあきたらず全新聞朝日支部を脱退して東京編集労働組合を組織するに至つたが、小原正雄は社会部内において朝日労組に反対し右組合結の成を促進し労農関係担当を離れるに及び右組合の書記長となり、前記朝日支部及び朝日労組のいづれにも属さない第三系統の組合において昭和二十四年一月頃統一協議会が組織されていたが、これが仮書記長となり前記東京編集労働組合の委員長兼右協議会の仮委員長病弱のためこれに代り統一運動に努力し右協議会が全朝日労組に結成されるやその本部執行委員東京支部組織部長等となりその間書記長として経済要求退職金問題につき原告会社との交渉の任に当つたこと。

(三)、前記東京編集労働組合は組合の統一を目的としていたが多くの組合員間には先づ全新聞朝日支部と統合しようとする空気が強く従つて自然これと連携して朝日労組に対抗する情勢を誘致し全朝日労組結成後もこの傾向に多く変化を見ず昭和二十四年の越年資金闘争においては朝日労組が先づ原告会社と妥結するに至り、また昭和二十五年七月二十八日及び同年八月一日の解雇後においても当時前記三組合共同して原告会社と賃金交渉中であつたが右解雇により全新聞朝日支部及び全朝日労組は多くの組合役員を失い遂に朝日労組のみ単独交渉するに至つたこと。

(四)、梶谷善久は昭和十二年大阪本社に入社し昭和二十二年七月東京本社に転じ編集局欧米部に記者として勤務していたが、昭和二十一年十二月より同二十二年八月まで新聞単一朝日支部大阪分会執行委員及び機関紙部長、昭和二十三年五月より同年十一月まで全新聞本部中央委員及び機関紙部長並に全新聞朝日支部東京分会執行委員長、昭和二十四年四月より同二十五年五月まで東京編集労働組合及び全朝日労組の機関紙部長昭和二十五年五月より同年十一月まで全朝日労組の執行委員長となり、なお昭和二十三年十一月の争議においては東京分会副闘争委員長となつたこと。

(五)、昭和二十五年七月十四日前記三組合は共同して給料値上の要求を提出し、原告会社と同月二十三日より共同交渉を開始したが前記解雇により交渉中絶し八月七日より再開するも原告会社において解雇されたるものゝ出席を拒否し交渉不能となりその後は朝日労組において単独交渉するに至つたこと。

を認めることができ、右認定の事実によれば、全新聞朝日支部と全朝日労組は多く共同して朝日労組と対立する情勢にあつたこと、原告会社と右全新聞朝日支部及び全朝日労組との関係は朝日労組との関係に比較すればより対立的関係にあつたこと、小原、梶谷の両名が全朝日労組において有力なる地位を有していたことを否定し得べくもない。

而して、右認定の事実は一般に解雇の動機となり得るものと考えられ、また原告においては、特別の事情の立証のない限り、本件解雇当時右認定の事実を了知していたものと推定されるを以て、これらのことに右認定の事実並に前記の如く原告が小原及び梶谷を共産主義者又はその支持者としたがそれを認めるに由なきことを綜合すれば、前記甲第三十二号証の二及び証人矢島八洲夫の証言はそのまゝには措信し難く、前記解雇に際し原告が単に共産主義者又はその支持者なることを誤解したに止るとは認め難く、従つて、原告の右両名に対する解雇の直接の契機が連合国最高司令官の前記指令にあつたことは前記のように認め得るとはいえなお小原及び梶谷の前認定の組合活動がその主要なる一動機として、原告の考慮のうちにあつたものと推定するほかなきものといわねばならない。然れば、被告委員会が原告のなした前記解雇を不当労働行為と認定したこともこれを不当となすに由なきものである。

よつて原告の主張は理由なきに帰しその請求はこれを棄却すべきを以て訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十五条を適用して主文の通り判決する。(昭和二七年一二月二二日東京地方裁判所民事第二十部判決)

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